今日の進歩を話そう!2023/1/26

2023/1/26
 

こんにちは。りょういちです。私は日本の京都大学の博士課程に所属して、意識の発達の研究をしています。現在は、訪問研究員としてオーストラリアのモナッシュ大学に滞在しています。このブログでは、私の日々の研究や生活の記録を書いています。構成は3部構造になっており、①研究について、②筋トレについて、③生活・考えたことについて、書いています。

まず、研究についてです。今日は11時半から仕事を始めました。私は一日の仕事は6-8時間に収めるようにしています。今日もまずは、今日のスケジュールを決めました。午前の2時間は、レジレポのリバイズとリバタルを書きました。今回は、仮説検証に用いたモデルの推定値をどうやって決めたのかと、ベイズファクターのシミュレーション方法をもっと詳しく説明して、と2点指摘がありました。この回答案と修正案を書きました。明日共同研究者とミーティングをしようと思います。次に再投稿したらアクセプトになると思います。その後は、editageグラントを書き進めました。けっこう書いたかなと思っていたけど、1000 wordsでまだ規定の半分くらいの分量なので、1900 wordsは書こうと思います。お昼の2時間もeditageグラントを書き進めました。その後、事務員さんに教えてもらった民間研究費の使用方法が、正しいかったので、そについての返信をしました。京大では、教職員は大学が研究費を管理するけど、それ以外は、個人管理になるとのことでした。助成金機関が大学が管理するように指定した場合には、京大に管理してもらうことになりそうです。研究費使用のミスは、のちのち大事になる可能性があるので、慎重に管理する必要があります。レジレポが次でアクセプトになると思うので、そのタイミングで100~150万円が振り込まれるのかもしれません。午後の2時間は、日本の研究室のゼミに参加しました。今週のゼミは、先週と同様に、ゲストスピーカーの話を聞きました。今日のテーマは、吃音と実行機能の関係についてでした。とても勉強になりました。今日のスピーカーの角田さんも、3月の宮古島の研究会でお話をしてくれるので、ぜひご参加ください!

つぎに、筋トレについてです。今日のゼミが18時半に終わって、帰りが遅くなったので、今日は筋トレしませんでした。バーベルスクワットは明日する予定です。土曜日にまた海に行くことになったので、土日もお休みになると思います。

最後に、生活と考えたことについてです。しつこくてすいません。情熱について考えていました。昨日の夜中にいろいろと文字化したので、それを紹介します。研究者を志すようになったプロセスです。ツイッターの文章を丁寧語に直しただけです。今振り返ると、研究者になろうかなと、ちゃんと決めたのは、22-3歳、学部3年生の時、フランス留学中でした。大学は、理学部に入ったけど、教養学部に転学しました。高校卒業時は、18年生きたぐらいで、進路なんかきめらんねーよ、と思っていて、とりあえず進路希望は東大理一と言ってごまかしていました。そんな学力もなかったので、普通に勉強不足で現役受験は失敗しました。今は研究やってるけど、中高生の時は、将来のことなんかちゃんと考えられなかったです。当時の恋人は看護師になりたいと小中からずっと言っていて、すごいな、と思っていました。実際に現在は看護師になっているので、本当にすごいです。その人さえいてくれれば、将来なんかどうでもいいやと当時は思っていました。私は田舎で育ちました。夜空はすごくきれいでした。当時は、もっと広い世界を見てみたい。なんかおもしろいことをやってみたい。自分の世界を広げたい。としか、思っていなかったです。それは、今に繋がっていると思います。だから、未来に対してはけっこう楽観的だし、新しい環境じゃないと気が済まないです。子どもの時から人に話しかけるのと感情のコントロールがすごく苦手でした。トイレに行きたいが言えなかった。
台所のガラスドア上手く開かなくて蹴り割って足をざっくり切ってしまった。すぐ手を出してしまって、放課後になんども手土産をもって謝りにいった。授業中に黙って座っていられなかった。集団登下校もふらふらいなくなってしまった。宿題もやる意味がわからなかったからやらずに、居残りしていた。整理整頓ができなくて、忘れ物が多くて、連絡帳が書けなくて、プリントはほとんど机の中にあって、ずっと通知表に書かれた。親も先生も大変だっただろうし、だからいつも怒ってたんだなと思います。上記は小中学生の時のエピソードだけど、さすがに怒られるたびに、直そうと思ったけど、できないものはできなかったです。自分の行動なのに、自分でコントロールできない。本当は怒られたくないけど、怒られることをしてしまう。すごく悲しいし、情けない。やっちゃったあとに罪悪感でいっぱいになりました。子どもはやっちゃったあとはちゃんと冷静です。怒られるのもわかっている。なんで?と聞かれても、わからない。怖いから、声が出ない。何を言っても、言い訳するなと、怒られる。何か言わないと、黙るなと、怒られる。泣いたら、泣くなと、怒られる。そしてそのあとは、みんなの機嫌が悪い。使える部屋がご飯食べる部屋と寝る部屋の2つしかなかった。みんなが同じ部屋で寝る。怒っている人・機嫌が悪い人は音が怖い。起きていることがばれると絡まれるかもしれないから、息を殺して寝たふりをする。不安で寝れない時は、天井の模様が動いて見えた。おもらしもなかなか卒業できなかった。私の子どもの時の記憶は情けなさと罪悪感しかないです。そうなると、子どもながらに、生きるってなんだろう、と考えます。自分の生きる意味ってなんだろう。こんなことがずっと続く人生なんだろうか。そんな人生なら早く終わってほしい。しんどいし、いつか終わるのに、なぜ生きないといけないのか。そんなことは、同級生や大人には伝わらない。そんな葛藤があっても、日常生活はできる。ばかばことを言ったり、やったり、して、同級生は笑わせておけばいい、中高生くらいになれば、大人が求めていることなんかわかるから、親や先生はいい感じに合わせればいい。思考と行動なんか同じわけがない。だけど、そこに進路選択が加わると、もうキャパオーバーだった。なんのために生きたいか、それが決まらないと、進路は決められなかった。それを整理するために、浪人の1年が必要だった。①自分と同じ思いする子ども、悲しい思いをする子どもがいなくなってほしい。そのために何かしたい。だから、子どものカウンセラーになりたい。心理学を学んでみたい。と思いました。②なぜ自分の感情や思考はコントロールできないんだろう。どんなときに感情や思考と行動は乖離するんだろう。どうして知覚は歪んだんだろう。これがわからないと私や子どもの不安や苦しみな無くならない。だから、心理学の中でも、認知や知覚の心理学を学びたい。発達と臨床も。脳も大事かもしれない。脳も勉強したいと思いました。③やっぱり生きるってなんだろう。どうせ死ぬのに生きる意味はなんだろう。どうして、私は、この問いを考えずにいられないのだろう。は、そのまま残った。だから、哲学を学んでみたいと思いました。特に、存在論現象学。たから、大学では、哲学と心理学、神経科学の授業を自由に受けられるように、国際教養学に移りました。学部では、①子どもと②心理学が直近の目標だったけど、大学院に入ってから、③意識が根源的な問題なんじゃないかと、思うようになりました。だから今は、実証研究と発達研究から意識の問いに挑んでいます。だから、子どもが生きやすい社会になってほしいと心から願うし、研究で貢献したいと思っています。ちなみにカウンセラーは私には難しすぎたので、諦めました。いろいろ整理ができたんだけど、情熱はどの部分を説明するかがわかりません。あるいは、このプロセス自体が情熱だろうか。と情熱ってなんだろうを考えているうちに、私の今までを振り返りました。

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