自分が唯一の存在であることは、他者も一人一人唯一の存在だということですね。

昨日は、大学の学位授与式でした。おかげさまで、京都大学博士 (文学) になりました。"大学名" 博士 ("学問") が正確な表記みたいです。どこの大学からもらったかも書くようです。博士号の○○学は、大学の学部名などによって決まっています。私は、文学の勉強や研究をしたことがありません。小説は博士3年間で3-5冊くらいしか読んでいないかもしれません。私が研究している心理学、特に実験心理学の分野では、本よりも論文を読みます。博論を書くときに、全体イントロを書くために本を読みましたが、私の研究や論文自体には、本を引用することはほとんどありません。すべて論文です。なので、文学博士と言われると違和感があります。文学 (心理学) とか書けたらわかりやすいと思います。

京都はけっこう強い雨が降っています。今日も両親が来ており、これから観光に付き合います。昨日は懇親会・打ち上げもあり、帰りと寝るのが遅くなって、朝もちょっと遅く起きました。ですので、今日のブログは短めにします。

地元の駅では、交通系ICが使えません。夕方以降も駅員さんがいません。両親は、スイカを買ってみたけど、使い方がわからないから、いろいろ教えています。スマートフォンの地図アプリも使い方がわかりません。地元、新潟市も含めて、JRだけです。京都や大阪は、電車の種類がたくさんあり、とてもわかりにくいです。駅も広くて、出口がたくさんあります。

すべてわからないからやってと言われて、少しは自分で考えてよ、とちょっと思いました。しかし、それは私が、都会生活に慣れたからです。海外にいるときは、わからないことばかりでした。D3が論文の探し方がわからないと言っていたら、そんなこともわからないでどうする?とちょっと思いますが、M1や学部生が同じことを言ったら、助けると思います。D3も、もしかしたら、自己流でやってきて、効率が良いやり方を知りたいのかもしれません。相手の立場にたって考えることはいつになっても大事だし、身内だからなおさら、厳しくなりそうですが、相手が違っても同じようにふるまうか、と考えると感情が落ち着くかもしれません。

おとといも、観光したいけど、歩きたくない、と言われて、少しは歩いた方がいい、と最初は思いました。でも、ちょっと言うのを思いとどまって、これを足が不自由な人にも同じことを言うか?と考えたら、きっとできるだけ歩かない経路を考えます。気にしないでいいよ、と言います。私は、比較的健康で、運動が大事という信念があるので、いくら歩いても気にしません。むしろ健康に良いと思ってしまいます。歩いて街並みを見るのも、観光だと思っています。でも、観光したいと歩きたくないは矛盾しないです。観光したいけど、歩きたくないは、あってもいいし、その要望をできるだけ叶えてあげるようにしたいものです。

自分が唯一の存在であることは、他者も一人一人唯一の存在だということですね。それは、親や子でも同じですね。私たちは、自分の考えや信念を中心に考えてしまうものですが、衝突したときに、相手がおかしいから、改める必要があると考えるよりも、どうして相手がそう考えるのか、どうしたらお互いの妥協点になるかを、考えると良い気がします。それは、想像力の問題ではなく、シンプルに意見を聞く、話し合うのが大事な気がしますね。