2020年前半を振り返って

2020年が終わりますね。修士論文の締め切りが1/5です。第二稿を書いて、指導教員や共同研究者の先生にコメントをもらったので、提出までに修正しています。この一年に何をしていたかを振り返ろうと思います。私は、発表した資料や提出した書類をファイリングしています。ちなみに、今年一番のがっかりイベントは、想いを寄せていた女性に振られたことで、一番のやったーイベントは、妹が入籍して、かつ、甥っ子が生まれたことです。ちなみに、私の家系では、妹が初の大卒者で、お兄ちゃんは、いろいろと先を越されてばかりです。長男だけど、がんばれてないかもしれない。

 

【1月】

12月にやっと実験計画が固まって、実験用PCの到着を待ちながら、倫理審査申請書を初めて書いていた。12月中旬に委員会に提出したのだが、理由を忘れてしまったが、審査には回っておらず、1月に入ってから、事務から返ってきて修正のやりとりがあって、2週目にやっと審査に回してもらった。社会的意義に苦戦した。

意識の研究のレヴューと研究計画について、ゼミ生の勉強会で発表しつつ、成人の予備実験を始めた。

実験プログラムにPsychoPyを使っていたのだが、なぜか100Hzに設定してもモニター上では、50Hzになってしまう現象が起きてしまったので、本実験は、50Hzで20ms刻みで行うことになった。子ども向けの刺激の選定にかなり苦戦した。

2月に、発表の機会が2つあった。「京大の若手研究者の発表会」と「知覚コロキアム」で発表しようと思い、その準備を始めた。ASSC (国際意識学会) の締め切りが3/1だったので、それにどうにか間に合わせようと倫理審査の結果を待っていた。

4月から、指導教員が所属を移動するため、指導委託に関する話し合いがあった。あとは、6月から修論の研究として脳波計測をする予定だったので、その打ち合わせもしていた。コロナで、この研究は、当分できなくなった。

学振に書く内容を考えて、まとめていた。

 

【2月】

子ども向け課題の準備もできて、予備実験を始めた。半分くらい分析には使えない結果になった。なかなか、ルールが子どもに伝わらなくて、いろいろ修正案を考えた。

学振に書く研究計画や業績をMTGで話した。投稿していた論文の審査結果がなかなか返ってこなかったため、編集局に催促のメールを送った。学振の提出があるので、少しだけ急いでもらえませんかとお願いをした。学振の自己アピールを書き始めた。

予備実験のデータを知覚コロキアムで発表することにして、アブストを提出した。CoRN (アジア意識学会) 用に準備していたものがあったので、日本語に直して提出した。しかし、コロナの影響で、知覚コロキアムは中止になった。ちなみに、CoRNも中止になった。

倫理審査通って、本格的にデータを取れるようになった。研究室で使っていた同意書や研究説明書なども指摘が入ったので、いろいろと修正をして受理された。

このころから、知り合いの大学院生と意識研究会を始めた。自分の研究や意識に関する論文を発表して、議論をするようになった。2週に一回ずつ行っていた。

ASSCでの発表用のアブストも提出した。初めての国際会議発表となる予定であった。しかし、コロナで中止になった。

 

【3月】

研究計画をプレレジした。研究室の先輩がいくつかプレレジしていたので、それを参考にしながら、書いて、2回ほど添削してもらってから登録した。

ゼミ生勉強会で、予備データとプレレジに関して発表した。

東京の方では、コロナがはやり始めていたが、関西の方はまだ危機感はなかった。成人のデータを取るために、実験のスケジューリングとチラシやホームページを作成した。ほとんどの参加者は、生協の掲示板を見て参加していた。

ボスが主催する身内の研究会で発表した。イントロの意識研究のレヴューで毎回議論がヒートアップして、実験計画や結果の議論の時間が少なくなることがよくあったので、抑えめに作ったつもりであったが、相変わらずヒートアップした。

自己意識、セルフの勉強会をゼミ生で始めた。私は、ギャラガー (2000)を担当した。他には、ナイサーやロシャを読み合った。

学振書類の第一稿を書き終えて、他の研究室の同期と読み合い回を2,3週ごとに行った。しかし、計画をまるっきり変更することになった。

脳科学若手の会の合宿で発表する準備をしていたが、コロナで中止になった。

 

【4月】

研究室が変わってしまい、元の院生部屋と新しい院生部屋のどちらにいればよいのかがわからなかった。案の定、ボスは、大学は同じで研究科だけ移動になったので、同じキャンパス内で、建物が異なるだけだった。元の方も、新しい院生や留学生も来るということで、物理的に私は行かない方がいいのではないかと思った。新しい方は、所属が違うから行っていいのかがわからなかった。図書館や天気が良い日は外で作業していた。

もともとの研究計画ができなくなってしまい、実験も止まってしまった。そんななかで、ボスが、共同研究の話を持ってきてくれた。意識研究者と共同研究をすることができるようになった。これは、チャンスだと思った。それから、2週ごとにMTGを行った。

投稿していた査読が返ってきた。メジャーだけど再投稿のチャンスがあった。意図が理解できないコメントがいくつかあって、ボスや先輩に相談しながら、なんとか修正をして再投稿した。4つ目のジャーナルでやっとレヴューに回してもらえたことはうれしかった。

学振書類も修正して、先輩や同期に添削してもらいながら修正した。

やっと3月から始めた実験は、そのまま中止になった。

【5月】

論文がリジェクトされた。2回目の修正のチャンスはなかった。その後、他の雑誌2つに投稿したが、リジェクトとなった。もうこれ以上、投稿する雑誌は、無さそうだったので、ひとまず置いておくことにした。学振には間に合わなかった。

いろいろあったが、学振の書類を無事に提出した。実際の指導教員と書類上の指導教員が違うので、少しやりづらいところがあったが、お二人の協力のおかげで出せた。

 

【6月】

授業ゼミで先行研究レヴューと実験計画を発表した。研究室でも発表をした。

このころくらいから、新しい院生部屋を使えるようになって、先輩方からいろいろと教えてもらえるようになった。

 

ここから、快進撃が始まるのだった。。。

とりあえず、これくらいにしておこう。

振り返るのも大事だが、休むことも大事である。

修論を提出してから、後半を書こうと思います。

 

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