コールバーグの道徳性発達段階ってなに?

さて,今回も道徳性の発達についてです。前回は,赤ちゃんは,人を助けようとすること,他者を助けるものを好むことを書きました。そして,科学の再現性についても触れました。科学は真実を明らかにするためにあります。最近,フェイクニュースというものが注目されていますね。ツイッターやラインなどのSNSで流れている嘘のニュースのことです。メディア(テレビやインターネットのニュースなど)がいつも正しいことを言っているとは限りません。コロナの情報も,日本の政府発信のものと海外のものは異なっています。本当にそうなの?と疑いながらニュースを見た方が良いと思います。「研究で〇〇がわかった!」というニュースもちょっと怪しいことがあります。

 

本題に入ります。今回は,「コールバーグ」の「道徳性発達段階」について説明します。道徳性の発達と言われたら,ピアジェ(出ました!Dr. P.)とコールバーグは必ず出てきます。コールバーグは,子どもや青年に道徳的葛藤がある物語を聞かせて,どのように答えるかで発達段階を設定しました。道徳的葛藤がある物語の例として,「ハインツのジレンマ」が有名ですので,以下に書きます。ただし,その後,コールバーグは,段階6を取り下げました。

 

【物語】

ハインツの奥さんが病気で死にそうです。医者は,「ある薬を飲むほかに助かる道はない」と言いました。その薬は,最近ある研究所で発見されたもので,製造するのに5万円かかり,それを50万円で売っています。ハインツは,手元にお金がないので,お金を借りて回りました。しかし,半分の25万円しか集まりませんでした。ハインツは,研究所の所長さんに訳を話し,薬を安くしてくれないか,後払いにしてくれないかと頼みました。しかし,頼みはきいてもらえませんでした。ハインツは,困り果て,ある夜に,研究所に押し入り薬を盗みました。

 

【質問】

ハインツは盗むべきでしたか?なぜですか?など。。。

 

コールバーグは,「盗むべきかどうか」ではなくて,「なぜそう思うのか」の判断の理由を評価しました。それが以下の発達段階です。

 

①前慣習的水準(ルールに従う前)

段階1:罰と服従志向 <- 泥棒をすると怒られるから!

段階2:道徳主義的相対主義 <- ハインツがそうしたかったから!

②慣習的水準(ルールに従う)

段階3:対人的同調,良い子志向 <- みんな〇〇だっていうよ!

段階4:法と秩序の維持 <- 法律は守らないといけないよ!

③後慣習的水準(ルールがすべてではない)

段階5:社会契約的遵法 <- 法律を守ることは,世界の秩序を維持するためでもあるよ!

(段階6:普遍的な倫理的基準 <- 法律違反だろうと,ヒトは助け合う生き物である!)

 

日本の例だと,山岸 (1991)があります。ちなみに,論文から引用(文章などを借りること)する際には,名前 (発行年)という書き方をするルールがあります。これに関しては,段階5でしょうかね。心理学系の論文の書き方で世界で統一されているルールです。

山岸明子 (1991). 道徳的認知の発達 大西文行(編) 新児童心理学講座9 道徳性と規範意識の発達 金子書房 

 

10-11歳と13-14歳では,段階2と段階3の間が最も多く,16-17歳では,段階3が最も多く,18-26歳では,段階3と段階4の間と段階4が最も多いようです。現代の子どもや若者は変わってきているでしょうかね。そして,大人はどうでしょうか。道徳的判断は,文化や社会から影響されます。

 

コールバーグの道徳性発達は,「正義と権利の道徳性」しか扱っていない!いう批判があります。ハインツのジレンマでは,ハインツと薬屋の権利の葛藤に気づいていることが評価されました。しかし,薬屋がハインツの奥さんを助けようとしないことなどのケアや責任に関する「配慮の道徳性」が評価されていません。道徳性の発達には,この両者が必要です。

 

今回はここまでにします。

参考文献は,

長谷川真里『発達心理学 心の謎を探る旅』北樹出版

です。

 

発達心理学の入門書・教科書です。

長谷川先生は,道徳性心理学が専門なので,

道徳性の発達(特に青年期)の内容が濃いです。

 

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大学院ってなにをするところなの?研究ってなにをしているの?

2月になりましたね。1月は,あっという間に過ぎてしまいました。このブログは,発達科学の知見を知ってもらうことだけでなく,研究者,特に大学院生の生活を知ってもらうことも目的にしています。基本的には,大学院生は,大学院の研究室に所属して,研究指導者の指導を受けながら研究をしています。ただし,分野や指導研究者によってやり方は異なります。ちなみに,大学では,〇〇学部と言いますが,大学院では,〇〇学研究科などと言います。自己紹介するときは,「◇◇大学大学院〇〇学研究科M(修士)1の(名前)です。」とよく言います。修士課程のことをM(マスター),博士課程のことをD(ドクター)と言います。

 

大学院生がやっている「研究」ってなんでしょうか。大学を卒業したことがある方は,卒業論文を書いたと思います。卒業論文とは,大学の卒業のために書く研究論文のことで,ほとんどの大学では,この論文が審査されて,合格にならないと卒業できません。だいたいは,大学3年の9月ごろから研究を始めて,大学4年の1月ごろに提出します。そのため,多くの大学4年生は,就活をしながら,卒業論文を書いています。おそらく,卒業研究は,「学術的な方法で,研究をやってみて,論文を書いてみる」が最低目標です。「やってみる」で良いのです(最低限ですし,あくまで一般的にです)。

 

修士課程以上の大学院での研究は,「研究者として,学術的な方法で,研究できて,論文を書ける」が目的です。「やってみる」だけではだめで,「正しい方法でできる」ようになるために,プロの研究者(指導研究者,指導教員)から直接指導を受けるのです。ですので,研究指導は,師匠と弟子関係のような感じです。修士課程2年以上,博士課程3年以上かけて,研究指導を受けます。修士課程では,2年目に修士論文を提出し,博士課程では,博士論文を提出します。前になるほどおもしろいなあと思った例がありました。野球に例えて,卒業論文は,「バッターボックスに立つ」,修士論文は,「バットを振る」,博士論文は,「ヒットで塁に出る」ことが必要であると書いてありました。私はまだ,卒業論文しか書いたことがありませんが,自分で確認してみようと思います。

 

さて,脱線してしまいました。研究とは,「〇〇ってなぜ起こるのだろう?」とか,「△△ってどうなってるんだろう?」という,疑問(これを,リサーチ・クエスチョンと言います)を,科学的な方法で解明することです。しかし,このような大きな疑問を解明できたら,苦労しないです。「戦争はなぜ起きるのだろうか?」が解明できて,解決策がわかれば,もっと世界は平和になっています。「子どもが良い子に育つにはどうすれば良いか?」が解明できていれば,こんなにたくさんの育児本は出ていません。そして,「良い子」ってどう意味ですか?何歳の子どものことですか?どこの文化や国の子どものことですか?研究は,そんなに簡単なものではありません。

 

勉強するだけなら,上でも良いのですが,研究するためには,研究の内容を狭めていかなくてはいけません。教科書を読むだけではなく,自分で実際にやるのですから,一度にたくさんのことはできません。教科書の一文や一章は,たくさんの研究と研究者の努力によってできています。上の例だと,「良い子」は難しいですね。ただ,例えば,「ルールを守れる」,「他者の考えていることを推測できる」,「他者に共感できる」,「前の3つをもとに,他者が望む行動ができる」などに読み替えることができそうです。そうなると,「ルール理解」や「心の理論」,「共感」,「向社会的行動」などがキーワードになってきます。やっと具体的に何かができる段階になります。自分の経験から自分の考えを言い合うだけなら,誰だってできます。これは,科学ではありません。

 

次に,これらのキーワードに関する研究について調べます。もしかしたら,あなたの疑問は,もう解決されている可能性もあります。いろいろ調べてみて,自分の疑問が解決しないのであれば,自分でやるしかありません。「よし!やったるで!」となります。では,なぜその疑問は解決しないのでしょうか?他の研究では,何が足りないのでしょうか?いきなり新しい方法でやるのは,うまく行かない可能性が大きいです。まずは,今までにやられてきた方法をベースにして,少し改良したり,工夫したりすることから始めるのが良いでしょう。

 

このようにたくさん,関係する研究を調べていると,良い子っていうのは,〇〇な子であるとすると,良い子になるためには,△△が必要である。しかし,これは,文化によって異なるかもしれなくて,日本では,△△が必要だけど,アメリカでは,△△は必要ない。という,予想ができるようになります。これが,「仮説」です。そして,この仮説を調査や実験によって確認してみるのです。

 

最初に疑問に思ったことから,実際に研究することは少し変わってしまうかもしれません。それは,研究には限界があるからです。人間の理解のためには,全人類を調べれば良いでしょうが,そんなことはできませんよね。一度の研究の中に,盛沢山のことを入れてしまうと,何を調べたのかがわからなくなります。時間の制限もあります(研究だけしているわけではありませんし)。一つの疑問に対して,いろいろな研究(実験や調査)をするというのが,研究者や大学院生がやっていることです。しかし,最初の疑問はとても重要なものです。私も,「生きるとはどういうことか?」「人間とは何か?」が軸にあります。

 

私の修士1年目の今は,上で書いた,1つの研究の疑問やテーマを決めて,キーワードを調べて,仮説を立てるところまで来ました。「キーワードを調べて仮説を立てる」がとても時間がかかりました。そして,どんどん新しい研究が出てくるので,終わりがありません。今は,その計画で実験をしても良いかの許可をもらう段階です。これは,倫理審査といって,ヒトに関わる研究は,その研究の意義(やるメリットがあるか)と研究の方法(実験方法,実験前後の対応など)は適切で,実験参加者に害はないかをチェックされて,許可をもらわないといけないルールがあります。ここで,許可されれば,実験をスタートすることができます。これらのプロセスが,「研究者として学術的な方法で」のトレーニングです。これを繰り返していくのでしょう。

 

今回は,ここまでにします。私の経験から書いたものですので,科学的な文章ではないですし,違う意見の方々もいると思います。ただ,大学院生は社会に出ようとせず,大学の延長で,遊んでいるわけではないことを知ってほしいです。研究以外にも,たくさん仕事があります。しばしば,遊んでいるように思われていて,攻撃されます。これは,大学院生は全人口に対して少数ですから,何をしているかがよくわからないからであると思います。同年代に比べると,異なった生活をしていますが,一生懸命生きています。それを知ってもらうことも大切な仕事だと思っています。

 

 

赤ちゃんって善悪判断できるの?他者を助けようとするの?

私は,発達科学・発達心理学を専門としていると言いましたが,具体的には,子どもの「心」と「行動」と「脳」の関係を研究しています。そして,それぞれの発達とその関係の発達を研究しています。さらに,これらを「意識」という現象・機能で説明しようとしています。まだまだ,研究途中ですので,詳しくは書きません。

 

このブログのタイトルは,「子どもが意識している世界」です。なぜわざわざ,このように言うかというと,子どもと大人では,感じている世界も考えていることも異なっているからです。どっちが本物でしょうか?子どもはいつか必ず,大人になる。社会は大人が回している。子どもは未熟な存在だ。だから,大人の世界と考えが本物だ!本当にそうでしょうか?私はブログを通して,この疑問をみなさんと考えたいと思っています。

 

そして,もう一つ。大人はみんな同じ世界と考えを持っていますか?20代と50代の生き方は同じですか?大人と子どもで分けてしまいがちですが,大人になっても発達し続けます。これが,「生涯発達心理学」です。もちろん,個人個人でも違いますよね。

 

子どもは,大人になる準備状態なだけではありません。進化を考えると,遺伝子を伝えることが第一目標になります。生殖ができる大人になるまで生き残らないといけませんね。子どもは,子ども期を生き残るためにも進化をしてきました。こういう考え方を「進化発達心理学」と言います。神経系(脳など)との関係を考えるのが,「神経発達心理学」です。〇〇学->△△心理学->◇◇発達心理学ってどんどん名前が長くなっていきますね。臨床と発達を組み合わせた「臨床発達心理学」もあります。生涯進化神経臨床発達心理学にもなるかもしれませんね。

 

余談はここまでにして,今回は,「道徳性の発達」について書きます。私は,大学の学部時代は,子どもの道徳性の発達を勉強していました。卒業論文は,道徳性の中でも,子どものうそを研究しました。余談が長すぎたので,途中でやめるかもしれません。まずは,子どもの「善悪判断」について考えましょう。善悪判断とは,良いと思うか悪いと思うかどっちやねん?ということです。さて,ピア・・・。と言えば,そう!ピアジェ先生ですね。子どもの道徳性研究もピアジェから始まっています。

 

次の2つの子どものどちらが,より悪いと思いますか(怒りますか)?①「お手伝いをしていて,テーブルにぶつかって,ガラスのコップを7個落として割ってしまった子ども」,②「ご飯の時にふざけていてテーブルにぶつかって,ガラスのコップを2つ落として割ってしまった子ども」きっと,「わざと」かどうか,これを「意図」といいますが,で判断するのではないでしょうか?つまり,②の方が悪い。ところがどっこい,6歳以前の子どもは,①の方が悪いと答えるのです。ピアジェは,このことから,この年齢の子どもは,意図ではなく,結果で善悪を判断すると考えました。ピアジェ先生,そんな単純じゃないでしょ!と突っ込める方は,ちゃんと私のブログを読んでくれているか,よく勉強されている方でしょうか。子どもを叱るときは,この点を考慮してあげてください。「わざとでしょ!」と責められても,理解していないかもしれませんから。

 

赤ちゃんは,良いやつと悪いやつを区別できて,良いやつを好むという研究が,ハムリンという研究者から出ました。これはとてもインパクトがありましたね。哲学的にも,「性善説(人は生まれながらに善人である)」と「性悪説(人は生まれながらに悪人である)」の議論に対して,性善説を支持するような研究です。本当は,生まれながらにってどういうこと?具体的にいつ?赤ちゃんは社会的な生き物ですから,生まれてから環境の影響を受けています。ここら辺は,ややこしいので今は置いておきます。

 

この研究には,顔の書いてある〇と△と□と坂道が出てきます。①坂を上っている〇を□がいじわるをしてじゃまする,②坂を上っている〇を△が親切に後ろから押して手伝う,という二つの場面を6か月児に見てもらいます。その後,△と□を見せて,どっちに手を伸ばすかを調べました。その結果,6か月児は手伝っていた△を選んだというのです。

Hamlin, J. K.,  Wynn, K., & Bloom, P. (2007). Social evaluation by preverbal infants. Nature, 450, 557-559.

 

さらに,ハムリンらの他の研究では,早くて3か月ごろから,①じゃま,②手伝う,③何もしない,を組み合わせたときに,①じゃまと②手伝うでは②手伝うを好み,②手伝うと③何もしないは変わらない,①じゃまと③何もしないは③を好む,ことが報告されており,良いやつが好きだというより,悪いやつに敏感なのかもしれません。これらから,1歳にならない赤ちゃんでも,良いことと悪いことを区別できて,その行いした人・ものに反応できることがわかっています。

Hamlin, J. K., Wynn, K., & Bloom, P. (2010). Three-month-olds show a negativity bias in their social evaluations. Developmental Science, 13, 923-929.

 

ハムリンらの研究は,赤ちゃんの善悪の認識についてでした。次に,トマセロらの赤ちゃんが行う助ける行動(援助行動)についての研究を紹介します。トマセロは,赤ちゃんの向社会的行動(他者のためになる行動です)の研究に関して,怪物って感じです(私のイメージです)。赤ちゃんの前で,物を落としてしまったけど,手がふさがっていて取れないときに,赤ちゃんは取ってくれるでしょうか?という研究です。この研究から,14か月と18か月の赤ちゃんは,すぐに拾ってくれました。さらに,12か月児では,気づいている人よりも,気づいていない人に,多く指差しで知らせることがわかっています。これらのことから,赤ちゃんのころから,人を助けたいと思って行動できることがわかっています。

Liszkowski, U., Carpenter, M., & Tomasello, M. (2008). Twelve-month-olds communicate helpfully and appropriately for knowledgeable and ignorant partbers. Cognition, 108, 732-739.

Warneken, F., Hare, B., Melis, A. P.,  Hanus, D., & Tomaswllo. M. (2007). Spontaneous altruism by chimpanzees and young children. PLoS Biology, 5, 1414-1420.

Warneken, F., & Tomaswllo. M. (2006). Altruistic helping in human infants and young chimpanzees, Science, 311, 1301-1303.

 

今回はここまでにします。赤ちゃんの研究は,哲学的な問いを考える上でも,重要であり,注目されています。ただ,研究をする上では,「ヒトは生まれながらに善である」と思いたいという,私たちの願望が入ってきてしまわないようにしないといけません。また,赤ちゃん研究の再現性の問題もあります。これは,「赤ちゃんは,〇〇歳から△△がわかる」という研究が,同じようにやってみたら,同じ結果にならなかったら,え?どういうこと?ってなりますよね。科学は,再現できなくてはいけません。「赤ちゃんは,こんなに早くから〇〇できるんやで!」の早さをめぐる争いが多かった印象があります。確かにびっくりだし,おもしろいのですが,私は,どのように発達していくか,なぜそのように発達するのかを考える研究がしたいと思っています。

 

おすすめの本は,

『子どもの社会的な心の発達』林創 金子書房

『子どもは善悪をどのように理解するのか?』長谷川真里 ちとせプレス

です。一般向けに書かれており,とても読みやすいです。

学部と卒論で,大変お世話になった先生方です。

 

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大学院って何年あるの?お金もらえるの?

大学院って何年あるの?

とよく聞かれます。多くの大学の学部は4年ですね。医学部や薬学部は6年でしょうか。大学院は2つの段階にわかれています。大学を卒業後に入るのが,大学院の「修士課程」あるいは,「博士課程前期」で最低2年在籍します。その後,大学院の「博士課程」あるいは,「博士課程後期」で最低3年在籍します。そのため,大学院修了して研究者などの専門家になるためには,最低5年は大学院に在籍することになります。

ほとんどの日本の大学には,飛び級制度はありませんので,「大学4年」->「大学院修士2年」->「大学院博士3年」というのが,最短の経路となります。あと,大学院の場合は,卒業とは言わずに,「修了」と言います。

 

給料はもらえるの?修士課程偏

ともよく聞かれます。これに関しては,研究の分野によって異なるのではないでしょうか。わたしが知っている限り,かつ,私が研究している分野(心理学)に関しては,修士課程に在籍して,研究しているだけでは,給料はもらえません。そのため,生活するためには,アルバイトや奨学金を借りることは,ある程度必須なように思います。大学にあるめずらしいアルバイトには,ティーチング・アシスタントといって,授業の補助をするアルバイトや,実験参加(基本的には,安全な実験しか募集できません)のアルバイトもあります。

しかし,研究に関わることに関しては,大学や先生の研究費から出してもらえることもあります(全額ってわけではありません)。例えば,研究発表のために,国内や海外に行く場合の旅費や,実験に使う機械などは,お金のない学生には厳しいので補助してもらえる場合がありますが,大学や先生の方針次第です。

リーディング大学院といった,大学院に在学中に給料をもらえる制度(その分,忙しい?)や,給付型の奨学金,財団などの支援などもありますが,人数が決まっているので,多くの方がもらえるとは,限りません。

 

博士課程偏

博士課程以上では,給料をもらえる機会は,増えてきます。代表的なものに,学振DCというものがあります。これは,ざっくり言うと,博士課程の学生を国が特別研究員として雇ってくれるというものです。雇われているので,給料と研究費がもらえます。

詳しくは,こちらのホームページに。https://www.jsps.go.jp/j-pd/pd_gaiyo.html

月20万円の給料(研究奨励金)と年間150万円以内の研究費がもらえます。博士課程3年間もらえるDC1と,博士課程2年間もらえるDC2があります。博士課程に進学を考えている人や,研究者になろうとしている人は,ほとんどみんな申請する「競争的資金」です。競争的資金は,審査があり,すべての人が採用されない資金のことです。DC1とDC2ともに,採用率は,20%です。そして,DC1は,修士課程の2年生の5~6月に申請書を提出しなくてはいけません。

審査には,やる予定の研究がどれだけすばらしいかだけでなく,どれだけ研究の業績(認められる論文を書いたか,研究発表をしたか)を出しているかが見られます。修士課程の間は,お金がないのですが,研究に専念して,博士課程で研究を続けられるように,論文を書いたり,発表をしたり,しないといけません。それだけでなく,修士は英語で,マスターと言いますが,その分野のマスターになるために,勉強もしないといけません。私は,「発達心理学・発達科学マスター」にならないといけません。さとしが,ポケモンマスターを目指したようにです。

 

最後に

自分の研究を進めるために,DC1に採用されるための業績を作るために,日々を過ごしているうちに,もうすぐ1年が経とうとしています。仕事量ともらえるお金が,割に合わないのに,どうして研究をしたいの?とよく聞かれます。子どもが幸せになるためだったら,現場で働けばいいじゃんと言われます。私は,先生や保育士,親など,日々子どもと向き合っている方々を尊敬しています。私は,その援護射撃がしたいと思っています。

子どもが幸せになるためには,子どもにだけ何かをするのではなく,その周りも含めて幸せになることを考えなくてはいけません。子どもが意識している世界を知ってもらい,どうやったら子どもの気持ちやこころをわかってあげられるかを考える材料を提供したい。現場の方々と一緒に,子どもが生きやすい世界にしていきたいと思っています。そのためには,少しずつ子どもを知るための研究を続けていきます。そして,研究でわかったことを発信していきます。

どうして著者(わたし)は大学院に進学したの?

お正月が終わり,仕事や学校が始まりましたね。地元は山に面する田舎なので,野生のニホンザルが道路を渡ったり,裏の畑に集まったりしています。面白いのが,地元にいると,ニホンザル(マカク)は,嫌われる対象で敵なのですが,大学にいると,彼らは,研究仲間になるのです。ほとんどの脳の研究は,マカクなどが実験の参加者になっています。脳の構造,特に視覚系(ものを見る)は,人間とマカクでは,ほとんど同じなのです。私たちは,脳の研究が出た時には,どの種が研究参加者になっているかを確認します。他には,ラット(大きいネズミ)や,マウス(小さいネズミ)などの研究も多いです。

 

本当は,人間の脳を知りたいわけですが,研究のために人間の脳にメスを入れたり,電極を刺したりすることはできません。人間の脳を研究する場合は,非侵襲的方法と言って,脳には手を入れない方法,脳に害がない方法を使います。詳しくは,説明しませんが,脳波や脳の血流の変化を計測する方法があります。何か特定のことをしている時に,どんな脳波が見られるかや脳のどの部分が活動しているかを調べます。例えば,足し算などの計算問題を解いてもらっている時の脳活動や,映画を見ている時の脳活動を計測するなどがあります。今のところ,脳活動を見ただけで,何を考えているかなどはわかりません。

 

さて,今までのブログでだいたい,基本的な発達心理学の知見を書いてきました。まだ書いていない内容としては,言語発達や道徳性の発達,脳の発達,知覚の発達などでしょうか。少しずつ書いていきたいと思います。今回は,地元に帰ってきて思ったこと,思い出したことを今の研究に絡めて書こうと思います。

 

やはり,大学院生は,なぞの職種のようです。私の同級生は,基本的に数年働いている人が多いので,給料がもらえない学生でいるのは私だけです。そして,あと最低5年かかるというと,驚かれます。30歳になってしまいますからね。しかし,このようなことは,大学にいるとあんまり考えません。結婚や出産も増えてきました。どうにか,私が日々勉強していることが少しでも,役に立たないかなあと思って,ブログを書き始めた部分もあります。地元で働くことはありませんが,地元の子どもたち,パパママへの支援をしていきたいです。

 

私は,大学院で研究を続けることを,大学に入る前から考えていました。以前にも書きましたが,私は,子どものころから,生きている意味を見いだせないことで悩んでいました。どうせ死ぬのですから,何をやっても意味がないわけです。家族を含め,他人とは分かり合うことはできませんし,できるだけ関わりたくありませんでした。そのため,自分(人間)は孤独であることから出発して生きることを考える必要がありました。表向きは,部活や勉強をがんばっている感,友だちや恋人と仲良くしている感を出している優等生だったわけです。

 

そんな中で,哲学や心理学の本は,一つの生きる希望となりました。ただもがくだけでなく,もがくヒントをくれるような感じです。そして,悩んでいるのは私だけではないことがわかりました。時空間を超えて,仲間がいたことに気づくような感じです。なるほど,デカルトは「われ思うゆえに,われあり」と言ったわけだ。感覚や身体は,信じられないんだな。確かにそうだな。あとはあとは?ぬぬ,ニーチェニヒリズムは,ネガティブとは何か違うな気がする。ふむふむ。などなど,「そんなこと考えてもしょうがないよ。」という,周りの人たちよりも,本の中の人たちは,私と会話をしてくれました。

 

心理学の本は,人間がどうやって生きているかを教えてくれました。フロイトの無意識は,私にとっては革命的なものでしたし,エリクソンアイデンティティは,まさに今の自分を説明していることにびっくりしました。なるほど,私のこのコンプレックスや劣等感だったり,あの人の行動は,こういう理由があったのか,なんか心が楽になるかもしれないと思いました。あとは,大学で,ラマ・チャンドランの「幻肢痛」(事故などで失った体の一部が痛むという現象)やマイケル・ガザニガの「半側空間無視」(視界の半分が見えなく,かつそのことに本人が気づかない現象)を読んで,人間の不思議さに魅了されました。意識と無意識に興味を持ちはじめました。

 

こういった,生きている意味や生きている世界のおもしろさを考えることが,わたしにとっての生きるモチベーションだったのです。これらを考え続けられる生き方をしたいと思っていましたので,哲学や心理学を勉強できる大学を選び,そのまま大学院に進学しました。私の研究のテーマも必然的に「意識」となったわけです。そして,こういった研究の知見は,生きる希望になると身を持って知っています。子ども時代の怖くて寝れなかった夜が,少しは減るかもしれません。考えてしまう自分を受け入れるのに,多くの時間がかかりました。

 

お笑い芸人は,笑いを提供するわけですが,私も,生きていることのおもしろさを提供したいと思っています。研究をしていると,その研究の社会的な意義(社会の役に立つのか?)と学術的な意義(他の研究の役に立つのか?)を考える必要があります。とても大切なことです。しかし,それに加えて,科学の進歩は話のネタになりますし,おもしろいです。「人間とはなにか」「わたしとはなにか」は,自分を知りたいという欲求を表しています。「なぜ生きているのか?」も同様です。生きようと思える。生きたいと思えるかもしれない。そしてここに,人文科学の可能性と必要性があると思います。私のなかでは,家族や友人などの人間関係ではなく,哲学や心理学などから自分で考えることによって救われたという感じがあります。

 

ただ,私には,難しいことがあります。私は子どもの「いまここにあるわたし」を研究しているわけですが,私自身は,「」を感じることはできるのですが,楽しむことができないのです。「楽しい」という感覚がよくわかりません。だからこそ,子どもたちの楽しそうな様子に引き付けられるのかもしれません。私は,気楽に生きることができないことを確信しました。だからどうせなら,とことん気苦労に,「生きること」に向き合おうと決めました。「生きている(世界)」ことを「意識」する主体としての「わたし」の発生と発達を考えています。

 

今回は,まとまりのない私の大学院に進学した経緯を書きました。私にとって,研究し続けること,生きることを考え続けることは,生きるモチベーションなのです。これがなかったら,たぶん,生き続けてこれなかったと思います。これは,寂しい人生なのでしょうか?よくわかりません。

 

おすすめの本は,

『人間らしさとはなにか?ー人間のユニークさを明かす科学の最前線』マイケル・S・ガザニガ

-> 文庫本になっていましたね。『人間とはなにか』

『脳のなかの天使』V・S・ラマチャンドラン

です。べらぼーにおもしろいです。分厚さに注意ですね。

まだ,生きていたいと思えた本です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空想の友だちってなに?

2020年になりましたね。今年もたくさん研究していこうと思います。今年の前半は,来年以降の研究生活に関わってくる大事な時期なので,気を抜けません。そして,後半は,修士論文の執筆がありますので,気を抜けません。研究がんばります。海外にも研究を発表しに行きたいと思います。ブログは,社会貢献の一環として続けていきます。

 

さて,今回は個人的には,発達心理学と言ったらこの現象でしょ!!っていうテーマについて書きたいと思います。「空想の友だち」です。聞いたことがある方もいると思います。時に,子どもは,大人(他者)には見えない友だちを持ち,話かけ,遊ぶことがあります。このように,子どもは,実際には存在しない友だちを持つことがあります。なじみのない方からしたら,おばけと話しているのかもしれなかったり,精神的におかしいのかもしれないと心配するかもしれません。しかし,精神疾患とは関係ないことが研究でわかっています。よく,赤ちゃんや幼児が,誰もいないかどをじっと見て,笑いかけているといううわさを聞いたことがありますが,もしかしたら,空想の友だちがいるのかもしれません。この現象は,世界中で見られます。

 

ちなみに,かなしばりや幽体離脱などの,霊的な不思議な体験は,脳と身体の関係のずれから生じるものだったりするので,実験で作り出すことができます。霊感なども,感覚の敏感性や予測システム,心の理論などの過剰活動が原因ではないかと考えられます。

 

そうとは言っても,空想の友だちをイメージするのは難しいと思います。身近な例で言ったら,「となりのトトロ」のトトロや,「インサイドヘッド」のビンボンがそうだと言われています。まさに,子どものときにだけ,あなたに訪れる不思議な出会いなわけです。ただ,すべての子どもが経験しているわけではなく,大人になっても空想の友だちがいるという人もいます。子どものときにいても,ビンボンのように忘れられているかもしれません。

 

そういえば,「インサイドヘッド」は,なかなか脳科学や心理学の知見と合っていると思います(特に基本感情や記憶メカニズムなど)。神経科学者も映画の製作に関与しているようです。あとは,国によって,ライリーの子どものときのスポーツや嫌いな食べ物が違うということも見どころですね。ちなみに「ズートピア」も国によって,出てくる動物が違ったりします。私は,ちょうど,フランスへ行く飛行機の中で,ズートピアを見たので,マイケル・狸山さんは出てきませんでした。そして,フランス語には,狸という単語もありません。狸は犬と一緒なんだそうです。ちなみに,日本に帰ってくるときは,「シング」を見てきました。

 

さて,話を戻します。空想の友だちには,2種類あると言われています。①「目に見えないタイプ」と②「もの(ぬいぐるみや人形など)タイプ」です。①のタイプは,トトロやビンボンなどのような,言葉通りの子どもが空想上で作り出している存在です。同世代として対等な関係などが多いと言われています。それに対して,②のタイプは,ぬいぐるみや人形が心や人格を持っているかのように振舞います。自分よりも年下で,お世話をするような関わりが多いようです。

 

②のタイプに関しては,「移行対象」という概念との線引きが難しいとされています。ここでは,細かくは言いません。移行対象とは,例えば,小さい子どもが,布やタオル,毛布などをずっと持ち歩いていて,それが,なくなると不安になってしまうようなものを言います。スヌーピーに出てくる,「ライナスの毛布」がその例です。②のタイプと移行対象の大きな違いは,対話をしたり人格を付与していることです。しかし,ここらへんは,最前線で研究してる専門家でもまだ議論が続いています。

 

研究自体が多くないので,強い結果が言えないところがありますが,精神疾患との関係はないことは,頑健なようです。そして,普通の子どもに起きている現象で,むしろ,コミュニケーション能力や以前書いた心の理論などの課題の成績が良いことも報告されています。これらは,社会的認知能力と言われ,空想の友だちがいる(いた)子どもは,人とうまくやっていけるのかもしれません(強くは言えない)。つまり,内気で友だちがいないから空想の世界に入ってしまう,コミュニケーションが苦手な子どもが空想の友だちを持っているというわけでもないようです。

 

統合失調症などとの違いとして,空想の友だちは,実際には現実に存在していないことを子どもはわかっていると言われています。そのため,発達心理学の教科書などでは,ふり遊びの一種であるとされています。つまり,現実にはいないとわかっていながら,リアルに見ていると言うことです。イメージとしては,ポケモンGO妖怪ウォッチみたいな感じでしょうか。子どものころに空想の友だちがいた方に話を聞いてみると,多くの方が,恥ずかしくて誰にも言えなかったと答えるようです。

 

空想の友だちは,2歳ごろから見られ,4歳でピークになり,9歳ごろには,ほとんどいなくなってしまうと言われています。また,文化差があり,欧米圏では,①の目に見えないタイプが多いのですが,日本や中国では,①は少なく,②のものタイプが多いということがわかっています。どうしてこうなるかは,よくわかっていませんが,宗教の違いや親との関わり方などが要因としてあると議論されています。

 

どうして子どもは,このような友だちを作りだすのでしょうか?病的ではないと言いつつ,持つ子と持たない子がいるのは不思議なことです。一人っ子や第一子(長男や長女)が持ちやすいと言われています。そのため,子どもの時期の寂しさを補うために空想の友だちを作り出すのではないかと言われています。あるいは,実際の友だちと関わる練習をしているのかもしれません。あるいは,すべての子どもが同じような体験をしているのかもしれません。

 

幼児期には,想像と現実の関係や境界が私たち大人よりも,より重なっているのかもしれません。つまり,想像と現実が混ざりやすいということです。「サンタクロース」や「なまはげ」など,私たちがフィクションだと思っていることでも(一応ですよ!本当にはいるかもしれない!),子どもたちは,本気で喜んだり,わくわくしたり,この世の終わりを悟るわけです。そして,これは私の研究にも関わってくるのですが,この年代の子どもたちは,勘違いなどではなく,本当に想像の世界を見ている,感じている可能性があることを示唆しています。

 

空想の友だちは,子どもが大人とは異なった世界を見て,感じている可能性があることを教えてくれます。実際にどうかは,まだわかっていないので,なんとも言えません。そして,それを私は研究していきたいと思っています。上記で書いたように,このような現象は,子どもの発達を考えた際に,修正するべきものではないです。私たちから見たら,気持ちが悪いかもしれませんが,見守ってあげることも大切です。

 

発達心理学を勉強している方には,

森口佑介 (2014). 空想の友達ー子どもの特徴と生成メカニズムー. 心理学評論, 57(4), 529-539.

が,読みやすくて勉強になります。論文を読んでみましょう。

 

おすすめの本は,

『おさなごころを科学する』森口佑介

『哲学する赤ちゃん』アリソン・ゴプニック

です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子どもはいつから嘘をつくの?嘘をつけるってどういうこと?

2019年最後の記事として,私にとって,最初の研究となった「子どもの嘘の発達」について書きたいと思います。私の研究に関しては,論文として出せていないので,詳しくは書きませんが,論文になればお知らせします。「子どもがどうしたら嘘をつかなくなるか」には,多くの人が興味を持っているのですが,「子どもが嘘をつけるようになるとはどういうことか」を考えることはあまりないようです。

 

大人は日常的に嘘をついたり,ごまかしたりするのに,子どもが同じことをすると怒るのは不公平じゃないのかなあとずっと思っていました。また,子どもが勘違いやうっかりやってしまったことを大人がこの子は悪いことをしたと上から決めつけてしまうこともあります。大人も悪気はないし,そのことに気づかない。そういう悲しい関係がなくなってほしいです。子どもと大人の感じている世界や考えていることの違いがわかることで,少しでもそういった誤解が生まれないような関係を築けたら良いですね。

 

まず,嘘とはなんでしょうか?日常的には,広い意味で「言ったことが,事実とは違う」時に,うそをついたと言います。発達心理学では,「①言ったことが真実ではない。②話し手はそのこと(①)を知っている。③話し手はそのこと(①)を意図的に(わざと)聞き手に信じさせようとしている」の3つがそろって「嘘」であるとされています。そのため,①③だけなら,勘違いだし,①②だけなら,冗談や皮肉です。

 

 

ここで大切なのは,「相手が知らないとわかっていること」「相手に間違ったことを信じさせられること」つまり,相手の心理状態の推測と(信じさせるために)自分の行動をコントロールすることが必要です。これらは,今までに書いてきた,「心の理論」と「実行機能」に対応します。つまり,嘘をつくことができるいうことは,しっかりとこれらの能力が発達していることの証であるのです。

 

それでは,子どもと大人の嘘の理解はどのように異なるのでしょうか。ここで,またピアジェ先生の研究です。次の2つの発言のどちらがより悪いでしょうか?①「牛みたいに大きな犬を見たよ(本当はそんなに大きくなかった)!」と②「先生が良い点をくれたよ(本当はテストは返されてない)!」。この2つを子どもに尋ねると,7歳くらいまでの子どもは,①の牛の方が悪いと答えるのです。この年齢前の子どもは,騙そうとする意図よりも,発言が現実からどれだけ離れているかで,悪い嘘を判断しているのです。最近の研究でも,小学校低学年の児童は,嘘の意図を考慮しないこと,大人と嘘の概念が異なることが報告されています。このように,私たち大人が,嘘だと思っていても,子どもは嘘をついたと思っていないことや,大人が思う以上に悪いと思っていないことがあり得るのです。嘘を怒る際には,これらの点を考慮してあげてください。

 

子どもはいつから嘘をつき始めるのでしょうか。子どもの嘘には,3段階あると言われています。1つ目は,3歳ごろから見られる「罰をさけるための否認」です。これは,チョコを食べちゃだめと言われていたのに食べてしまった子どもに,「チョコ食べた?」と訊くと,怒られたくなくて「食べてない」と答えてしまうことです。怒られるのをさけるためにとっさについてしまう嘘です。しかし,この段階では騙そうと思っているわけではなく,欺く意図はありません。

 

2つ目は,4歳ごろから見られる「意図的な嘘」です。これは,相手を選んで,意図的に(わざと)嘘をつくことです。例えば,アンパンマンには,本当のことを言って,バイキンマンには,嘘をつくことができるなど,嘘をつくべき相手にだけ嘘をつくことができます。

 

3つ目は,7歳ごろから見られる「一貫性のある嘘,向社会的な嘘」です。これは,一回目についた嘘のつじつまを合わせてその後の会話を続けること(嘘を付き通す)ことや相手や他者を気遣った嘘をつくことです。他者のための嘘を英語では「ホワイトライ(白い嘘)」と言います。

 

このように,子どもの嘘は発達していきます。大人は,「わざとかどうか」を怒りますが,「わざと」という概念もわかっていなかったり,嘘だと思っていないかもしれません。嘘を怒る際には,「どうして,○○と言ったの?」と一言やさしく訊いてみることも大切です。

 

さて,子どもの嘘にはどのように対応したらよいのでしょうか。子どもの嘘研究をしているLeeによる面白い研究があります。次の4つの昔話のうち,子どもが正直になるのはどれでしょうか。①オオカミ少年,②ピノキオ,③ワシントンと桜の木,④ウサギとカメ。③ワシントンと桜の木は,ワシントンが,父親の大切にしていた桜の木を斧で切ってしまったことを正直に言うと,正直さを誉められたというお話です。

 

 

答えは,③ワシントンと桜の木です。①オオカミ少年と②ピノキオは,④ウサギとカメと同じ結果でしたが,③は④よりも多く,嘘を正直に話しました。この結果は,「正直さを褒めること」は「嘘を罰すること」よりも効果があることを示唆しています。つまり,嘘を厳しく怒るよりも,正直に言ったことを認めてあげることが,大切であるということです。

 

日本の発達心理学者の林先生は,良い子に戻る機会を作ることが大事であると言っています。つまり,悪いことをしてしまったときに,正直に誤り反省できる雰囲気や機会を作ることです。「怒らないから正直に話して」と優しく促すことが大切です。確かに,やってしまったことは悪いことかもしれません。しかし,正直に話せたことはすばらしいことでしょうから,しっかりと褒めてあげてください。子どもは,怒られることをさけるためにさらに,嘘をつくようになります。嘘をつきたいわけではないのです。

 

上記で書いてきたように,大人が子どもに嘘をつかせてしまっていることや,子どもの勘違い(記憶違い)を嘘にしてしまうことも大いにあります。一般的には嘘は道徳的に悪いことです。しかし,嘘のない世界を想像できるでしょう?大人は嘘をつかないですか?嘘をつく(正直に言わない方が良い)場面もあるでしょう。どういう嘘は悪くて,どういう嘘は良いのかをしっかりと伝えていくことも大切です。

 

今回は,けっこうまじめに書きました。道徳性の発達も発達心理学では,重要なテーマの一つです。ちょうど一年前に,卒論を書いている際に,調べたことを今でも覚えていますし,子どもの嘘は,これからも考えていきたいテーマです。

 

日本語で読める本は,

『子どもはなぜ嘘をつくのか』ポール・エクマン

『子どものうそ,大人の皮肉』松井智子

『子どもの社会的な心の発達』林創

が,一般の方にも読みやすくておすすめです。

 

TED動画の

『子どもの嘘は見抜けるか?』Kang Lee

https://www.ted.com/talks/kang_lee_can_you_really_tell_if_a_kid_is_lying?language=ja

も,おすすめです。英語ですが,字幕があるし,子どもの嘘研究といったら,この人です。私も卒論では,彼らの論文をいくつか引用しました。

 

2020年も宜しくお願いいたします。

 


 

 


 

 


 

 

 

 

実行機能ってなに?

もうすぐ,2020年が始まりますね。大学の4年や大学院の修士課程2年の人たちは,卒業論文修士論文の執筆で大変そうです。でも,そんなことを言ったら,大学受験生も追い込みをかけているし,年末年始も休むことなく働いている人もいますね。私も実家に帰ってきましたが,幸いなことに両親はまだ元気で,年末年始もお仕事をしています。今私にできることは,勉強すること,研究することです。そして,共有することです。「いい年して,なにをやっているんだ?」とは言わず,「おまえの好きなように生きろ」と言ってくれる両親に感謝しています。いや,感謝だけじゃなくて,しっかりと結果を出さないといけないですね。

 

さて,今回は,「実行機能」について説明します。これは,前回の「心の理論」と同様に,発達心理学では,ビックテーマの一つです。そういえば,「じっこうきのう」みたいに,学問の専門用語ってなんか,難しそう感がありますよね。勉強しようと思っても,知らない言葉がたくさん出てきて,やる気がなくなることはよくあります。研究者がいじわるで,難しい言葉を作って使っているわけではないです。複雑なことを考える際に,起きている現象を整理するために,それぞれに名前をつけているのです。ただ,「難しいことを考えているよ」というプライドもありそうですね。あとは,英語をそのまま日本語に翻訳すると,漢字で名詞句を作るので,難しくなりがちです。

 

脱線しましたが,「実行機能」とは,目標を達成するために,行動をコントロールする能力のことです。例えば,料理を考えてみましょう。カレーを作るという目標のためには,いろんなことをしないといけません。○○は,10グラム,△△は,大さじ2杯,玉ねぎは,□□分炒める。など,レシピを覚えていないといけませんし,それぞれの具材を別々に処理しないといけません。火加減にも気を使います。効率の良い方は,料理をしながら片づけもしてしまいます。このように,カレーを作るというだけでも,私たちはたくさんのことを行っています。目標を「実行」するための能力が実行機能です。

 

実行機能として,3要素が重要であると言われています。「抑制」「切り替え」「更新(ワーキングメモリ)」の3つです。それぞれについて,少しずつ説明します。「抑制」とは,余計な行動をしないようにすることです。つまり,がまんすることです。例えば,カレーを作っている途中に,「スラムダンク」を読みたくなって,読み始めてしまったら,玉ねぎは真っ黒になってしまいます。何かに集中するためには,他のことをがまんしたり,それを考えないようにしないといけません。ちなみ私は,仙道が好きです。

 

「切り替え」とは,行動を切り替えることです。例えば,玉ねぎを切って,炒めて,その次に,肉を炒めて,最後に野菜を炒める(これで合ってるのかな?)など,次の段取りに移る必要があります。切り替えができないと,次の行程に移れません。さらに,料理中に,電話が来たとき,相手からデートの誘いがあったのに,カレーのレシピの話を続けたら,大切な機会を失ってしまいます。カレーから離れて,デートの話をしないといけませんね。あとは,めっちゃ怒っていても,電話に出るときには切り替えて,電話が終わったあとに,まためっちゃ怒られることはよくあります。

 

「更新(ワーキングメモリ)」とは,覚えていることが変わってもそれを維持することです。例えば,子どもにカレーを作ってあげているときに,「ソーセージいれて」「にんじん抜いて」「じゃがいも冷まして」などの要望があった際に,カレー作りの段取りを覚えていながら,上書きすることです。そのうえで,にんじんは抜きません。

 

これらが,発達になぜ重要かというと,これらの能力は,幼児期に大きく変化し,生涯を通しても変化し続けるからです。そして,日常生活でとても重要な機能であるからです。例えば,小学校からの授業を考えてみてください。先生の話を聞いて,ノートを書くためには,先生の声だけに集中しないといけません。消しゴムと鉛筆を戦わせて,新技を編み出している場合ではないのです。学校の勉強についていけないのは,内容が難しいだけでなく,勉強する行動を維持するのが難しいからでもあります。

 

ここで考えてほしいのは,「やる気」がないから勉強ができないわけでは,必ずしもないということです。教室の中で,目に見える範囲に授業に関係のないものがあると,抑制ができず,それで遊んでしまったり,それに気を取られてしまい,空想の世界に行ってしまったりすることがあります。あるいは,遊んでいて,いきなり勉強に切り替えるのは難しいです。その活動に必要がないものはしまうようにする,時間の段取りは見えるようにして,しっかりと伝えることは,子どもが勉強に集中するためには必要なことです。つまり,環境を整備するためには,大人側の実行機能も大事であるということです。

 

私は,抑制と切り替えが今でもとても苦手です。失恋したらけっこう引きずります。大人でも完璧に,自分の行動をコントロールすることができるわけではないですよね。人生には,気持ちや意志の力だけでは,難しいことも多くあります。精神論に陥りすぎることなく,自分だけでは難しい場合は,環境を工夫することも必要です。

 

おすすめの本は,

『自分をコントロールする力 非認知スキルの心理学』森口佑介

です。新書で一般の人向けに書かれています。

 


 

心の理論ってなに?

生活リズムを一定にすることは健康に良いと思います。わたしは,毎日同じリズムで生活していると,気が狂いそうになってきて,朝起きれなくなったり,一日何もやる気が起きなくなってしまいます。そのため,定期的に,生活リズムを変えています。最近は,午後と夜に研究をして,午前寝ればどうかと思い,実験中です。ただ,授業があるときには,そうはいきませんが。。。

 

今年(2019)のM-1グランプリは,かなり見ごたえがありましたね。私は,「となりのトトロ」をすでに見てしまっていますし,発達心理学の教科書には,しばしば「トトロ」がでてきます。個人的に,(お笑い)芸人と研究者は似ているように思っています。認められる結果を出し続けないと,業界でも社会でも生きていけない(職を得たり,テレビに出たり)。最初の(認められる)結果を出すまでは,アルバイトや借金生活をしないといけないこともあります。アスリートも同じですかね。羽生君や,大谷君,瀬戸君など,同級生にも刺激をもらっています。わたしもがんばらないといけないですね。

 

さて,今回は,「心の理論」について話します。これは,私たち人間のコミュニケーションにとって,とても重要な概念であり,発達心理学だけでなく,哲学やAIなどでも議論されています。「心の理論」とは,他者の行動から,その人の考えていること(知っていること,好きなこと,信じていること,したいことなど)を推測して,その後の行動を予測する理論を言います。要するに,相手が何を考えているかを予測することです。例えば,授業中に,友人が,もじもじして,出口をちらちら見ていたら,「あー,トイレに行きたいんだな」と思うでしょう。おもらいをしてしまった子どもが,しょぼんとしていたら,「あー,おちこんでいるな。」と思うでしょう。

 

それでは,心の理論は,何歳ごろから獲得されるのでしょうか?つまり,子どもは,いつから,他者の心を推測することができるのでしょうか?心の理論を測るテストには,誤信念課題があります。これは,他者の誤った信念(かんちがい)を子どもが理解できるかを測っています。実験の結果,4歳半ごろから他者の誤信念を理解でき,3歳時には難しいことがわかっています。また,誤信念を推測するには,他者と私は,異なった考えを持っているということを子どもが理解していることも重要です。

 

誤信念課題の例には,「サリーとアン課題」や「スマーティ課題」があります。ここでは,「サリーとアン課題」を説明します。詳しくは,検索していただくと,すぐにヒットします。簡単に言うと,①サリー(女の子),アン(女の子),かご,はこ,ボールがあります。②サリーは,ボールをかごに入れて,どこかに行ってしまいます。③その間に,アンは,ボールをかごから,はこに移します。このことを,サリーは知りません。④サリーが戻ってきました。サリーは,ボールで遊ぶために,どこを探すでしょうか?というものです。

 

サリーは,ボールが移動したことを知らないので,かごを探すはずです。しかし,3歳児は,「かご」ではなく,「はこ」と答えてしまいます。3歳では,サリーの誤信念(現実には,ボールは「はこ」に入っているが,「かご」に入っているという勘違い)を推測できずに,子ども自身が見て知っていることを答えてしまうのです。ピアジェの「自己中心性」を思いだしてください。他者も自分と同じように見ていて,考えていると推測するのです。

 

心の理論の獲得には,文化差があることがわかっています。日本の子どもは,西洋の子どもに比べて,誤信念課題に正答できる年齢が遅いことがわかっています。これは,何を意味しているのでしょうか?日本の子どもは,西洋よりも劣っていることを意味しているわけではありません。日本の子どもは,西洋と異なった心の理論の獲得プロセスがあるかもしれないし,この課題が向いていないのかもしれません。ある研究では,日本の子どもは,言語的な質問の方法が苦手であるだけで,言語的でない方法では,西洋と同等の成績になることがわかっています。なお,西洋と言いましたが,国によって違うらしく,イギリス,アメリカ,韓国は中間ぐらいで,カナダやオーストラリアは早く,オーストリアや日本は遅いようです。

 

「○○君の気持ちも考えなさい」,「相手が嫌がることはしない」,「相手の気持ちを考えなさい」と私たちは,当たり前に子どもに言うわけですが,少なくとも幼児の段階では,難しい場合があります。4歳半ごろからわかると言っても,完璧ではないですし,日常はもっと複雑でしょう。例えば,みなさんは,喧嘩した時など,とても感情的になっているときに,相手の気持ちをしっかりと考えられますか?自分のことでいっぱいいっぱいの時に,相手のことを考える余裕はありますか?大人だって難しい状況もありますよね。まず落ち着いて冷静になることが大切です。その後,もし,子どもが自分で整理できないのであれば,考えるサポートをしてあげてください。「○○君は,どうして,△△したのかな?」,「あなたは,どういうときに,△△してしまうかな?」,「○○君も,あなたと同じ気持ちだったんじゃないかな」。。。大人とのやりとりの経験が,自分一人でできるようになるためには必要です。

 

心の理論に関しては,さらに議論が進んでいます。例えば,誤信念課題は,4歳半ごろからと言われていますが,これは幼児に言語で答えてもらう条件です。実は,言葉ではなく,視線を測る条件では,3歳児や15か月(1歳3か月)でも正答できることがわかっています。これはとても不思議なことで,すごく単純に言うと,意識的にわかるのは,4歳ごろですが,無意識的には,赤ちゃんも誤信念を理解しているのです。ここでは,これ以上の議論はしませんが,「幼児(報告)ではできないけど,乳児(視線)ではできる」は,最近の発達心理学で,盛り上がっていたテーマです。

 

さらに,心の理論には,「二次の心の理論」というものもあります。今まで述べてきた心の理論とは,「(一次の)心の理論」で,「一次の」が隠れていました。これは,「A君は○○だと思っている」という,「」が一つの推論でした。「二次の」心の理論は,「A君は「B君が○○だと思っている」と思っている」という,「」が二つの推論のことを言います。例えば,「コナン君は,「ラン姉ちゃんは,コナン君がシンイチではないと思っている」と思っている」ことがわかるから,ばれそうになるとハラハラするのです。あるいは,恋愛の三角関係を理解や,推理小説を楽しむことができます。人間の場合は,3次が限度だと言われています。二次の心の理論は,6,7歳ごろから9歳ごろに獲得していきますし,ヒトだけができることの一つです。例えば,ほしくないプレゼントをおじいちゃんにもらったとき,子どもは,「おじいちゃんは,「ぼく/わたしがプレゼントをもらってうれしい」と思っている」ことを理解して,気を遣うことができます。

 

一次の心の理論は,幼児期(保育園,幼稚園),二次の心の理論は,児童期(小学校)での発達する能力と言えます。自力で獲得するのではなく,大人や周りの子どもとの関係の中で育まれるものです。お笑いやテレビドラマは,芸人や役者が,何を考えているかを推測できるからこそ楽しめるのです。さらに,その予想を裏切られるから,さらにおもしろいのです。

 

私たち大人は,子どもは○○ができないから,未熟だと言いますし,できるようにならないといけないからと怒り,しつけないといけないんだと言います。しかし,それができない理由を考えることはあまりしません。できなかったのか(年齢や能力),しなかったのか(勘違いや反抗)。それによって,対応の方法は変わります。さらに,大人自身もできないときがあることを忘れています。発達を勉強することは,これらのことに気づかせてくれます。私たち大人は,大人に対しては,心の理論をうまく使えているかもしれませんが,子どもに対しても,うまく使えているとは限らないのです。

 

発達を勉強している方には,

『心の理論 第2世代の研究へ』子安・郷式

が,最新の研究を知ることができます。

 

これも,初学者には難しいと思いますが,

『社会脳の発達』千住淳

が,心の理論,自閉症,視線などに興味がある方にはおすすめです。

発達で大学院に行きたい方には,必読書です。

 

 

 

 

9か月革命ってなに?共同注意ってなに?

最近は,自分の研究や基礎の勉強をしていたら,ブログを書くことができませんでした。ブログを書いている暇があったら,研究を進めて,少しでも業績を作らない!と焦っていました。博士課程で生きていくためには,今がんばらないといけません。しかし,ブログ読んでいるよと言っていただけることも,とてもうれしいです。少しでも子どもたちの世界を知ってほしい,少しでも子どもたちが生きやすい世界になってほしいです。幸せとは何かはわかりませんが,少なくとも子どもたちが悲しむことは減ってほしいと思います。

 

さて,今回は,「9か月革命」について説明します。それにともない,「共同注意」,「三項関係」,「社会的参照」,「視線の追従」,「指差し」についてを説明します。人間を象徴する高度なコミュニケーションができるようになり始める時期です。これらは,社会性の発達ともいわれて,人間にしかできないことだと言われています。これらができ始めるのが,9か月ごろなのです。

 

まず,共同注意とは,2人(以上)が同じものに注意を向けることを言います。つまり,お父/母さんと子どもが同じものを見ることを言います。この時期前には,乳児が見たものを,一緒に見ることはできますが,養育者が「ねえ,見てみて!」と指を指したり,視線を向けても,乳児はそちらを見ることができません。

それでは,共同注意ができるようになることは,何を意味しているのでしょうか。それまでの乳児は,二項関係を生きています。二項関係とは,乳児と○○という関係のことです。例えば,子どもとお父さん,子どもとお母さん,子どもとおもちゃ,などで,お母さんとおもちゃで遊んでいる時には,お母さんとおもちゃのどちらかにしか注意を向けることができません。

 

それに対して,三項関係とは,子ども,お父さん,おもちゃの三角形のような関係を言います。子どもは,お父さんと一緒におもちゃを共有して遊ぶことができるようになります。お父さんと一緒に,花を見て笑うことができます(花に対して,親子で共同注意をしている)。このように,共同注意ができるということは,子どもは,三項関係を築くことができるということです。

 

この時期に,指差しや視線の追従(視線を追うこと)ができるようになります。さらに,10~12か月ごろに,「社会的参照」や乳児の指差しが見られ始めます。社会的参照とは,自分ではわからないときに,大人(養育者)の顔色を見ることを言います。例えば,初めてみる動く虫を見た時に,「なんやろ~これ?」とお父さんの表情を見ます。お父さんの顔が,怖かったら,「やべーやつやな。さわらないでおこう」となりますし,にこにこしていたら,「ええやつやな。さわっちゃえ」となります。

 

指差しには,2種類あります。一つ目は,「指令的指差し」で,「あれ,取って!」というものです。二つ目は,「宣言的指差し」で,「ねえ,見てみて!」というものです。自閉症児では,宣言的指差しはしないが,指令的指差しはすることが報告されています。また,指差しは,言語発達とも関係があります。

 

人間特有のコミュニケーションには,「他者と共有する」ことが重要なのです。そして,共有しているものを学習していきます。「ねえ,わんわんいるね!」とおばあちゃんが,指を指して言ったときに,乳児は,「ふむふむ。なるほど。あの動くやつが「わんわん」と言うのか。」と言語を覚えていきます。目線を合わせてから見たものを学習しやすいこともわかっています。アイコンタクトは,今から新しいものを教えるよという合図になっているようです。

 

さらに,指差しや視線には,何かを知らせようとしている「意図」があることを理解していないといけません。これは,「心の理論」の発達には,とても重要なものです。心の理論はとても重要な概念ですので,また次回に説明します。

 

まとめると,9か月前後では,赤ちゃんのコミュニケーションの質が大きく変わります。そのため,「革命」と呼ばれています。赤ちゃんは,お母さんと世界を共有できるようになるのです。さらに,12か月ごろには,自分から指差しや社会的参照ができるようになり,意図を必要とするコミュニケーションができるようになります。

 

とても雑にまとめてしまったようにも思います。この内容は,発達心理学の中でも特に,スーパー重要事項です。ぜひ,学習者の方は,しっかりと専門書を読んでみてください。